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2012年1月

葬儀を終えて

注)覚書も兼ねているので長文になります。

23日の夜に母急逝の知らせを受けて、すぐに徳島に向かいたかったんですが、何も用意がなく買いたいものもあったのと、ダンナに夜の高速走行を止められたので翌日にすることになりました。

その日は朝からいつもと違った頭痛で、朝食後鎮痛剤を飲んで1時間半ほど寝たら徐々に薬も効いてきてなんとか治まりました。

前の晩、夜中3時まで起きてある程度の準備をして寝不足だったから、母が寝かせてくれたのかな?

ダンナは前にも書いたとおり、独立計画遂行中のため仕事を休めず、私と娘だけで出発!

経費節約のためお弁当持参!(途中、トイレ休憩で立ち寄った淡路島のPAでお弁当タイム

黒のタイツとヒートテック買って阪神高速で一路徳島へ!!

徳島市中心部はいつも渋滞するので、帰宅ラッシュに巻き込まれる前にと思っていました。

多少の渋滞はあったものの、日が暮れ切る前になんとか現地に到着。

しかし、灯りはついているのに鍵はかかっているしインターホン鳴らしても誰も出ない!

鍵を持っていないので妹にメールすると、JAの葬祭会館にいるとのことで場所を教えてもらって直行しましたが、すでに通夜が始まっていました。

18時開始ということも聞いていなかったため、普段着で列席。

通夜の後、父からの話では心臓近くの動脈瘤が破裂していたんだそうです。

会館で用意されたお弁当で夕食を済ませ、父と一部の親戚を残して家のほうへ。

お風呂に入って寝床の用意をして後からやってくる妹の旦那さん&長女と、弟一家を待ちつつ部屋の片付け。

家の中や冷蔵庫の中を見て、改めて本当に何の前兆もなく突然のことだったんだと知らされました。

テーブルには麦茶ポットが出しっぱなし。

食べようと思って買ってきただろう紫芋の芋餅はパックが未開封のまま。

冷蔵庫の中は大量の食材。

冷凍庫と2つのストッカーには父が釣ってきた魚がめいっぱい詰まってて、きっと大阪に帰ってくるときに子供達に分けてあげようと置いてあったんだろうと思いました。

ふと気になったのは冷蔵庫にラップに包まれたご飯がたくさんあって、聞いてみるとカマスの姿寿司を作ろうと酢飯を作るのに昆布と炊いたご飯だそうで、カマスも塩漬けされたまま放置されていたんだとか。(魚は後で父が冷凍庫に入れておいたそうです)

それに母が妹に教えてもらって作ったきゅうりのしょうゆ漬けが大量に冷蔵庫に!

美味しくて、すごくハマっていたみたいです。

夜中過ぎて弟一家と妹の旦那さん&長女到着。

翌日11時から葬儀開始。

たくさんの母方の親戚。

母は長女だったので、次女は千葉から、三女は大阪から駆けつけてくれました。

弟も居るのですがもう何年も行方知れずの音信不通。

そんな弟のことを母はすごく気にかけていたようです。

後から聞いた話で、私は全く耳にもしていなかった話ですが、母が楽しみにしていた満期になった保険の払い戻し金が、リーマンショックの影響とかなんとかで、半分しか支払ってもらえなかったことがあったそうです。

よほど訴えようかと思ったらしいんですが、大きな会社が抱える弁護士に勝てるとも思えず、裁判費用に何百万も支払うことを考えてやめておくことにしたんだとか。

そんな心労がいろいろと重なったのも原因だったんでしょう。

母の本家から弟が失踪したことで、その息子と相続の話の日程や、病院や歯医者で大阪へ帰る日程、月命日の法要の日程などが書かれた手作りのカレンダーが冷蔵庫に貼られていて、やらなきゃいけないことがたくさんあったんだろうなと思いました。

徳島では親戚の畑を少し貸してもらっていろんな野菜を育てては、大阪に戻ったときに買ってきたお米(30kg)と一緒にいろいろと持ってきてくれてました。

父と結婚当時は父が仕事を始めたばかりでお金もなく、籍を入れる前に私を妊娠したことで舅から嫌味を言われたりして、3人の子供を育てての3世帯同居+ポリオで脳障害をもつ義弟の面倒を見て大変な結婚生活だったのが、姑が亡くなり、舅が亡くなり、義弟もガンで亡くなって、3人の子供も結婚して長男が跡を継いでくれて5人も孫ができ、念願の故郷での農業生活(そんな本格的なものではないと思いますが)が始まって、「今が一番幸せ」と言っていた母。

まだまだこれからって時に、本当に神様は残酷です。

父はどこかで人工蘇生法を教わっていたらしく、母が倒れたときに蘇生を試みたそうですが助けられなかったとすごく後悔していました。

長い間苦労をかけたということも棺桶の中で眠る母に詫びてもいました。

病気で亡くなったわけではないので、本当に今にも目を覚ましそうな普段の見慣れた母の寝顔のような顔を多分この先一生忘れないでしょう。

出棺の際、父は結婚前に母に渡した11通のラブレターを封筒に入れてお棺に納めていました。

父自身、母がそんなに大事に持っていたとは思わなかったらしいです。

どうしてそれがあるのがわかったのか不思議でなんですが、もしかしたら徳島で父と二人で生活する中で、今でも大事に持っていると教えていたのかもしれませんね。

灰になってしまった今となってはその中身を知る術はありませんが・・・。

こうしてブログを書きながらも涙が止まりません。

最近、時々子供の頃のこととかでふと疑問に思うことや思い出すことが多く、両親に会ったら聞いてみようと思うことが多かったのは、『虫の知らせ』みたいなものだったんでしょうか?

昨夜はベッドに入ってから台所に立つ母の姿、私のギターに合わせて歌う姿(高石ともや&ザ・ナターシャセブンの「ちょっとだけ恋人」がお気に入りでした)、ピアノを弾く姿(「花の歌」という曲をよく弾いてました)、TVを観て笑ってる姿が次々思い出されて泣きながらいつの間にか寝てました。

もう一度母が作った柚子酢のちらし寿司が食べたかったな・・・とか思いながら。

私が同じように作っても全然味が違うんですよ。

恐るべし母の目分量!!(笑)

2月末に徳島で四十九日法要があって、また出かけることになると思います。

納骨は5月。(これは京都)

まだしばらくは慌しいですね。

遺された父が心配で、大阪の家に居てくれるほうが休みの日に会いに行けるんだけど、まだ徳島の家に居るだろう母を置いて家を長期に空けたくないというので、本当にもう徳島での生活が定着してるんだな~と思いました。

とりあえず3~4日は京都から駆けつけてくれた和尚様(もうご高齢の女性の僧侶です)が一緒にいてくれているので安心かな?

今週末に大阪にいるなら娘と会いに行ってこようと思います。

多分、何かと手続きに大阪に戻らないといけないと思うので。

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突然の死

ついこの前、「あけましておめでとうございます~」って言ってたのに、早くも悲しい出来事がありました。

1月23日(月)午後10時02分。

母が亡くなりました。

70歳でした。

8時30分頃に突然倒れ、父から弟に「携帯から救急車呼ぶのは何番に電話したらいいんや?」と連絡があり、その後近くの病院に運ばれ人工呼吸器をつけられているということを弟から私のほうに連絡がありました。

連絡がないことを祈っていましたが、10時過ぎに亡くなったとの報告が。

弟は明日、どうしても外せない仕事があるとかで今晩中に徳島に行き、顔を見てから大阪に帰るとか。

妹は上の高校生の姪っ子が単位の関係で学校を休めないとのことなので、下の女の子を連れて家族で今晩から向かうそうです。

私も明日、路面凍結の状態や高速の様子を見て娘と二人で行ってこようと思います。

明日は友引とのことで、葬儀は明後日。

ウチのダンナは着々と進んでいる独立計画の途中で会社を休むわけにもいかないので、風邪で体調が悪い中仕事で行けません。

大阪に居てくれたらすぐにでもかけつけるんだけど、ここんとこず~っと徳島に居て病院がある日だけ大阪に帰るという日常でした。

昨年末からダンナの会社の社長が密かに会社を従業員ごと売却する計画を立てているのを知って、ダンナも密かに独立計画を進めていて、いろいろと母に相談したいこともあった矢先のことでした。

今日(23日)はダンナと事務所となる物件の契約に行ってきたところで、ぼちぼち話してもいいかと考えていたのに・・・。

「家を買って安心した」と言ってた母を、もう一度安心させてあげたかったです。

正直、ここ何年か父が病院に入院することが多かったので、父のほうが先に亡くなると思ってたんですが、母も高血圧に糖尿も少しあったので気にはなってましたが、まさか母のほうが先とは・・・。

ただただびっくりするだけでしたが、知らせを聞いた娘がぼろぼろ泣き出して「ばあちゃんに会いたい・・・」と言うのを見て私も涙が出ました。

ということで、2~3日徳島に行ってきます。

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あけましておめでとうございます!

あけましておめでとうございます。

なんと半年もの間twitterにかまけてほったらかしにしてました。

一昨年の暮れに仕事を始めて、慣れてきたとはいえ体のほうは毎日へとへと。

ダンナも独立に向けて密かに根回し始めてるので、家のことに関しては落ち着くまで協力は望めず、来年度は娘も受験生!

まだまだ大変な毎日が続きそうですが、ブログのほうは月に最低一回の更新を心がけていこうと思ってます。

今年もよろしくお願いいたします。m(_ _)m

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